在来の魅力 龍川在来 天竜茶 月の茶工場で作ったよ 2018 2nd
「在来」と呼ばれているお茶があります。特徴はそれぞれの茶畑毎に異なり、個性的です。「希少品種」以上に希少な茶園毎の独自の「銘柄」ですので、「どこそこの茶園の、あの茶畑の、あの在来を飲んでみたい」という思いに駆られるものです。
「在来」と一括りにされていますが、天竜では中世以前に宇治から導入されたのち放置されていた「自然茶」(天竜川流域には有史以前から自生していた茶の原生種があったとも云われますが定かではありません)、明治以降に導入された中国種、インド種(茶は中世から稲作に不向きな天竜区域では年貢米に代わる換金作物として特産品となり、江戸時代末期には二俣の茶問屋が天竜川流域の茶を集め江戸へ卸していましたが、近代的な茶園の広がりは明治12年に二俣紅茶製法伝習所が開所し、翌年から二俣の茶商が横浜港から英国向けの紅茶輸出を開始したことが大きなキッカケとなりました。当時の紅茶用茶樹が現存しているようです)、近年でも育成品種を分生させた茶樹以外の「実生(種子から植えた)茶樹」は在来としており、一口に「在来」と言っても系統、来歴は様々です。
明治期には、一つの茶畑に様々な来歴の茶樹が混植されているのが特徴であり、混植による香味の異なる茶葉の「ブレンド」こそが良質で安定した緑茶を生産する基本と考えられていたようです。この為、在来の畝は一本一本性質の異なる茶樹の集まりとなっているケースもあるようです。
単一品種の導入は、早世、中世、晩生と摘採時期のズレた品種を畑毎に揃え、一月ほどの茶摘み期間の間、手摘みにより常に品質の良い若芽のみを摘んでいくという目的があったようですが、「やぶきた」が品種導入の九割以上を占め、結果的に「やぶきた」最優先の摘採となり、主力でない品種の茶刈りは最適な時期を逃し、品種茶の魅力を最大限に発揮できていないケースも多々見られます。まして「在来」に至っては…
「在来」は一定のニーズ(昔ながらの自然な茶の味がするとして)はあったものの、「やぶきた」偏重の傾向が高まるにつれ、次第に「忘れられた存在」になり、市場価値も失っていきました。
然し、市場で見かけなくなるにつれ、「在来」の茶の味を懐かしむ声も高まっています。未だに市場に出せば茶価は低い在来ですが、求めているお客様はいらっしゃいますし、天竜楽市では、産地や茶園毎に異なる個性に再び注目して「在来のお茶」を飲んで頂く価値は非常に高いものと考えています。
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