天竜川、天竜美林、金原明善、船明ダム

大雨が降ってもほとんど濁らないハンガレ沢

美しく清らかな水を湛える天竜川水系

豊かな水を育む天竜の森

 水はあらゆる生命にとってかけがえのないものですが、生きる者にとって時に脅威となります。


 治水は人類にとって一大事業であり、「暴れ天龍」と呼ばれた天竜川は頻繁に氾濫し、度々流域に甚大な被害をもたらしました。


 慶応四年、天竜川堤防が決壊し遠州平野に甚大な被害が発生、金原明善の住む安間村は濁流に呑み込まれました。
 同年に堤防の復旧工事を行なった明善は、その後明治7年に天竜川通堤防会社を設立するなど、天竜川の治水事業に奔走します。

 明治18年、堤防建設による治水事業が軌道に乗ると、次に明善は天竜川上流の植林事業に乗り出します。
 大正時代には「林相絶景」と謳われ、現在も豊かな森に囲まれている天竜区ですが、当時の山は荒れており、大雨が降ると雨水と大量の土砂が直ちに天竜川に流れ込むという状況だったようです。


 天竜美林は「日本三大人工美林」に数えられ、遠州地域の経済を永年に亘って支えてきました。特に明善の植林事業開始から60年を経た戦後復興期には、空襲で大きな被害を受けた浜松が復活を遂げる起爆剤となっています。


 天竜区出身の本田技研創業者、本田宗一郎氏も地元林業家らの支援を受けて事業を拡大させていきました。

 世界最大級のローラーゲートを誇る船明ダム。
 浜名用水、磐田用水の水源として上水道・工業用水・灌漑の広範囲に利用されています。
 全国に大きな被害をもたらした今回の集中豪雨ですが、佐久間、秋葉、船明の三つのダムが連動し、豪雨のピークが来る前にゲートを全開にして一旦水量を空に近い状態まで下げ、その後の記録的な降水に備えました。
 慶応年間から取り組んできた金原明善翁の先見的な治水事業により、「暴れ天龍」の名は過去のものになり、明善翁の植林事業により遠州人は豊かな現在の暮らしを得て、美しい天竜の森へ心癒やしに出掛けることが出来るのです。


 世界で最も月に近く、最も美しい月が見える場所…
 月という地名と対になる日明(ひあり)という集落は、このダム湖の底に沈みました。日明の元住民は今も年に一度、唯一残された日明諏訪神社に集まり地区の祭典を継続しています…


 山間部は、平野部のために大きな代償を払っています。そして山を守り、森を守る人がいなければ、平野部の安全は保たれません。


 日明の住民が、どうしても生まれ育ったこの場所を離れるのはイヤだと言っていたら…
 住民運動によってダム建設計画が撤廃されていたら…


 日々、安心して水が飲めてシャワーを浴びられたでしょうか?
 今回の豪雨で被害が最小限に済んだでしょうか?


 山を守ること、森を守ること、明善翁の遺産を引き継いで、地域全体の利益を守っていくこと。
 天竜区に住んでいれば、否応なしに胸に刻まれていることです。


 平野部の税金を山間部のインフラ整備に使うのはおかしいという人達がいるそうです。その人達が言うように、山を自然の状態に返し(荒れ果てます)、ダムを元通りにして(渇水時期には水道が使えなくなり、洪水も頻繁に起こります)山を降りれば良いのでしょうか?


天竜楽市

静岡県浜松市天竜区は天竜川と秋葉の山々に囲まれた山間地。永い歴史と豊かな物産、伝統ある祭禮や観光、イベント情報を紹介するページです。

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