天竜茶 月のやまかい 月の茶工場で作ったお茶だよ!
「月まで3km」の看板が『珍衝撃映像バラエティ ナニコレ珍百景』や『トリビアの泉 〜素晴らしきムダ知識〜』などのバラエティー番組に取り上げられて、全国的に有名になった浜松市天竜区月。
どのくらい有名かというと、人口80人の小さな集落であるにもかかわらず、Wikipediaに詳細な情報が載っています!
天竜区内の大字で他にWikipediaに上がっているのは他に「水窪町奥領家」と「小俣京丸」のみ。
水窪町奥領家は「領家変成帯」というジュラ紀の地層(付加体)の名称となっており、地内を中央構造線が走り、地質学上、重要な地域となっています。
京丸は民俗学者柳田國男が「日本三大秘境」の一つに数えた場所で、江戸時代から「雲萍雑志」「煙霞奇談」「遠山奇談」「秉穂録」「山牡丹」など奇談に取り上げられてきた民俗学的に重要な地域です。
一方、「月」はと言うと…浜松市営天竜ボート場月艇庫があり、毎年「全国選抜高校ボート大会」が行われていますが…これだけで超有名というわけではなさそうです…
やはり、月の名を全国に広く知らしめたのは、この看板でしょう。
月には、こんな月の形、あるいは月面基地を思わせるようなドーム型の体育館もあります。
主にボート競技の高校生らが合宿に使う大型宿泊施設もあります。
各地の茶商さんがWeb上で茶葉の紹介写真などに使っている「七得茶皿」も遠州天龍焼です(茶葉は「月のやまかい」)。
国鉄佐久間線(未成線)の廃橋脚を利用して作られた「夢の架け橋」…月へ渡る橋です。
同じく佐久間線の廃トンネルを利用した「浜松ワインセラー」
自然に囲まれた森の中で屋形船やボート遊び、SAPなどが楽しめる「二俣相津マリーナ」
四季折々の風景も美しく、「月」旅行はとてもたのしめそうですね!
船明ダムから見た月…ちょうど「月まで3km」の看板の上空に満月が浮かんでいます。
特筆すべきなのは、やはりここから見た「月」は非常に美しいのです。
「月」という珍しい地名は、南北朝時代、楠木正成に仕えていた源氏の一族である鈴木左京之進が、12名の家来をつれてこの地に落ち延び「楠木正成の心の清らかさこそ中空にかかる月のようである。吾等の心の在り方を地名に残そう」と考え、この地を「月」と命名したとも、ここから見る月があまりにも美しかったからだとも云われています。
1407年(応永14年)に作成された「長講堂領目録」山香庄の村名として月の名が見えるようです。
また一説に、天竜川右岸には右から「月」、中央に「伊砂(=いすか、古くは伊須賀と書く)」、左に「日明(ひあり)」という地名が並んでおり、イザナギが黄泉の国から還って河へ行った時に「右の目から月読尊が生まれ、左の目から天照大神(日の神)、鼻から素戔嗚尊(須賀神社はスサノオを祀る)が生まれた」という神産み神話に起因する地名とも云われています。
浜北区に根堅という地名があり、根堅の洞窟「根堅遺跡」からは本州最古の旧石器時代人の骨が出土していますが、根堅という地名は古事記の「(黄泉の国とつながっているという海底にある死者の行く国)根堅洲國」に由来するとも云われ、根堅の隣の鹿島椎ヶ淵には竜宮城があり「鹿島から南は昔、磐田之海であった」そうで、鹿島椎ヶ脇神社には竜宮城の乙姫「豊玉姫」が祀られ、根堅・鹿島の隣村於呂の於呂神社には豊玉姫の夫である「山幸彦(神武天皇の祖父)」が祀られるなど古事記に関連した伝説がこの地域には多くあります。
海底の根堅洲國と地底の黄泉の国の入口はつながっていると云われますが、磐田之海に面した根堅から山側の青谷、石神にかけては鍾乳洞(一般には小堀谷鍾乳洞や岩水寺鍾乳洞が知られる)が多く、「黄泉の国」が付近にあったのかもしれませんね…
「阿多古」という地名は火の神迦具土神に由来し、迦具土を生んだことでイザナミが崩御し、イザナギが黄泉の国にイザナミに逢いに行き、穢れた為に禊ぎをし、その時身につけていたものから衝立船戸神(つきたつふなどのかみ=クナトノ大神威様、岐神、二俣神)など十二神が生まれ、次いで海で禊ぎをし五神が生まれ、続いて清らかな水の神であり海の神である綿津見三神、住吉三神の六神が生まれます。
上阿多古の懐山や阿寺、より阿多古川上流の熊などにある「六所神社」は、山の中ですが何故か海の神である綿津見三神、住吉三神の六柱が祀られています。
そして上阿多古十二所神社には、六所の六柱に加え、イザナギ、イザナミの二柱と、海で禊ぎした際に生まれた最初の五神のうち八十禍津日神、大禍津日神、大直日神、神直日神の四柱、計十二柱が祀られています。
黄泉がえり神話と、天竜川左岸(椎ヶ脇伝説によれば当時の天竜川河口付近)は、何らかの関連がありそうです。
月の八王子神社に祀られているのは、市杵嶋姫(市寸島比売命)
尚、「古事記」ついでにもう一つ言えば、「二俣相津マリーナ」…相津(そうづ)は旧二俣郷ではないのですが、道の駅のある大川(旧山中村)までが二俣郷に属していました。
二俣の地名が見られるのは鎌倉時代以降のようですが、山香郡には岐階郷(岐=ふたまた)の所在不明な郷名があり、二俣、岐(ふたまた)という地名は、更に古くからあったのかもしれません…
古事記垂仁段に「在於尾張之相津、二俣榲作二俣小舟而持上來…」尾張の相津(あいづ)にある二俣榲(フタマタスギ)を二俣小舟 (フタマタオブネ)に作りて とありますが、垂仁天皇の時代にはまだ遠淡海国(『先代旧事本紀』「国造本紀」によれば垂仁の孫の成務朝期に物部氏の祖である伊香色雄命の子の印岐美命が遠淡海国造に任じられたとある)や穂の国はなかった可能性があり、当時の東の果てである遠淡海地方も尾張国(おわりの由来はイーストエンド=終りを意味するという説もある)であったとすれば、二俣杉のある相津(あいづ)とは二俣郷の相津(そうづ)であったのかもしれないですね…二俣相津マリーナでそんな気分で天竜杉で作った二俣小舟を浮かべて楽しむのも良いかもしれません!
そんな天竜区月にある茶工場で作られたのが「月のやまかい」です。
「山峡(やまかい 系統名=静7166)」は、「やぶきた」の自然交雑実生から選抜された品種で、山のお茶らしい特徴から山の谷間を意味する山峡の名が付けられました。
やぶきたから派生した品種ですが、香りも味もやぶきたとは大きく異なっています。
「天然玉露」とも呼ばれ、露地栽培でもしっかりとした旨味があり、苦渋味は少なめで、独特の香気が特長です。
「月のやまかい」は露地栽培ですが、ワンランク上の冠茶に匹敵する旨味があります。
熱湯で淹れれば山峡ならではの香りが立ち、
低温抽出では旨味と甘味がしっかり出て、
水出しではフルーティーな甘味が際立ち、
氷出しでは濃厚な茶葉のエキスが味わえます。
氷出しではしっかり濃厚な旨味!
どんな抽出方法でも、これまでのお茶とは違った山峡ならではの個性的なフレーバーが楽しめます!!
天竜区月の茶工場で作られた「月のやまかい」オススメです!!
↓↓↓
淡麗---★--濃厚
甘味☆☆☆☆
旨味☆☆☆☆
苦味☆☆☆
渋味☆
香気☆☆☆☆☆
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