郷土の偉人本田宗一郎氏の言葉

「ありふれたことだが失敗と成功は裏腹になっている。みんな失敗を恐れるから成功のチャンスも少ない。 」

大事なのは、新しい大きな仕事の成功のカゲには、研究と努力の過程に99パーセントの失敗が積み重ねられていることです。

 
やってみないと、できるかどうかわからないんだろ?なら、やってみろ。

作業着や手の爪の中を真っ黒にしてそう判断したなら俺は信用する。でも自分でやりもしないで、頭の中だけで正しい、間違っていると判断するようなヤツは信用しないぞ。 


事業というやつは、抜け目がないとか、しっかりしているとかいう人間ばかりでは成功しませんな。真に創造的な人間はオッチョコチョイかもしれないね。とにかく常識のワクを破らなくちゃいけないんだから。

教わったということは、あくまでも過去なんです。自分で知ったことは、これから未来へ通じる道なんですよ。

  
石橋だと分かれば叩かずに、どんどん渡っちゃう。 


多くの人は皆、成功を夢見、望んでいますが、私は、「成功は、99パーセントの失敗に与えられた1パーセントだ」と思っています。

開拓者精神によって自ら新しい世界に挑み、失敗、反省、勇気という3つの道具を繰り返して使うことによってのみ、最後の成功という結果に達することができると私は信じています。


当時、一生懸命がやたらと尊ばれた。たんなる一生懸命には何ら価値がないことを為政者は教えなかった。だから国民は一生懸命が価値を持つためには、正しい理論に基づくことが前提条件だということを悟らなかった。

「今の若いものは・・・」なんて批判する。口で言うだけならまだいいが、伸びる目まで摘んでしまっちゃ駄目だよね。そうなったら、老害以外の何物でもないからね。そう考えたから、俺は第一線から身を引いたんだ。

  
困らなきゃだめです。人間というのは困ることだ。絶対絶命のときに出る力が本当の力なんだ。人間はやろうと思えば大抵のことは出来るんだから。  

 本田宗一郎氏が言うのは「至極当たり前」のこと。 エンジニアなら日常のように何度も試行を繰り返し、失敗を重ねながら結果を得る。もちろん、そうした「試行」はある程度狙いを定めて計画を立て無駄なコストをかけずに行なうのは大前提。

 本田技研というのは徹底したマーケティングリサーチによって多くのヒット商品を生み出してきた企業で、技術的なブレイクスルーはほとんど成し遂げていない堅実路線の会社なのですが、こうした石橋を叩いて渡る企業であっても、時に「やってみもせんで!」と創業者が激を飛ばしていたわけです。

  一方、同業であるmazDaの社是は 「一隅(いちぐう)を照らす、此則ち(これすなわち)国宝なり」 「それぞれの立場で努力をすることは、何物にも代えがたい国の宝」という意味で、最澄の言葉。  

 御存知のようにマツダは、ロータリーエンジン、シーケンシャルターボ、ミラーサイクル、火花点火制御圧縮着火など、世界中のメーカーが量産不可能と諦めた技術を世に送り出してきました。 

 そしてマツダは何度も「社運を賭けた」ギャンブルに打って出て、その都度倒産の危機に瀕しています。 リスクを畏れず飽くなき挑戦を続ける企業風土があります。  

 ロータリーエンジンのヒットによって国内生産台数で一時はTOYOTA、日産を抜いてトップに立ったマツダですが、オイルショックで北米市場からの撤退を余儀なくされます。 国内では「マツダ地獄」「マツダのしょんべんカーブ」と散々陰口を叩かれたマツダですが、「ロータリーで失った市場はロータリーで取り戻す」を合い言葉にRX-7によって北米市場に再参入し、そのサムライスピリッツは欧米で大絶賛されました。 

 フォードが何故、マツダの自主的な再建を認めたかというと、欧米人はこの手の「不屈のチャレンジ精神」が大好きで、その企業風土を理解していたからでしょう。それは日本という国への憧憬にもつながっています。  

 欧米人が憧れる「ZEN」「サムライ」「大和魂」というのは、極々一部の日本人が成し遂げたものであって、それらは寧ろ日本国内では苔にされてきたものなのかもしれません。

 多くの日本人は「ZEN」「サムライ」「大和魂」の心なんて持ち合わせてはいないですよね。

 外国人が日本って凄いと言っているというと多くの日本人が我が事のように誇らしげに思いますが、そうした絶賛は多くの日本人が忘れてしまった文化に向けられています。

  

 マツダのように綱を渡り無人の荒野を行くような挑戦をしようとは言いませんが、せめて郷土の偉人本田宗一郎氏のように「石橋を叩いて」渡るくらいのチャレンジ精神は持ちたいものです(成功した人の多くがそうしたように本田氏自身は何度も危ない橋を渡っていると思います)。 

 リスクを回避する策を取るのは当たり前ですが、リスクを畏れて石橋を叩いて叩いて渡らないのは如何なものか… 本田さんが、子供でもわかるような簡単なありふれた言葉で優しく呼びかけたのは、ありふれた当たり前の第一歩が踏み出せない人が余りにも多くいるからでしょう。  

 それでも、こう言う言葉を聞いてハッとする人ならまだ良い方で、本田さんの「やってみもせんで」という言葉を出した瞬間、「計画ガー」「リスクガー」とか言い出す人が大勢います。いったいどんだけ「やんない」つもりでしょうか? 

 本田さんの言うようなことは、誰でも出来ることです。本田さんの言う「失敗」とは、取り返しの付かないリスク(当たり前ですが膨大なコストがかかるとか事故につながる畏れのある実験というのは慎重にやらなければならないですよ…当たり前のことです)のあるものではなく、成果を得るために「当たり前のように」必要なものです。 

 それらの「失敗」が命取りになることはありません。畏れる理由はありません。


 明治三十九年(1906)磐田郡光明村船明山下で本田宗一郎氏は生まれました。小学校に上がる頃には山東に移り住んだようですが、後に二俣尋常高等小学校へは船明から通っていた形跡もあるようです。


 宗一郎氏は子供の頃食べた船明ごんぼ(牛蒡)の味や船明諏訪神社祭典で若連が作った煮豆の思い出をのちに語っています。

 船明ダムや製材団地が出来て、また田畑であった船明の中央部は既存集落と合せ千戸を計画した宅地造成がなされ、彼の好物である船明名産の牛蒡が育てられていた宗一郎の幼少期と国道沿いの風景は様変わりしていますが、山の斜面に住宅が並ぶ上町や仲町、東側山沿いの山下辺りには昔ながらの情緒が漂っています。  

 宗一郎氏が愛した、船明のお祭りは、初めて見る者、都会で生まれ育った者であっても、どこか懐かしいと感じる素朴な日本の原風景を見るようなお祭りですね。


天竜楽市

静岡県浜松市天竜区は天竜川と秋葉の山々に囲まれた山間地。永い歴史と豊かな物産、伝統ある祭禮や観光、イベント情報を紹介するページです。

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